12月19日(火)

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こんばんは。

不愉快に感じる方がいたらごめんなさい、人の名前を聞いたときに「いい名前ですね」と反応する人の意味が分からない西澤です。

#良い名前ってなんですか

#悪い名前ってあるんですか

#カッコイイ名前だねとかならわかる

#そしてどの立場から言ってるんですか

 

さて、今日は「言い訳するのはそろそろやめたほうが良い」というテーマでお送りします。

若い人に向けた、とっても大事な話となります。

 

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【勝手な期待】

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先週のこと。

ヤフーで大谷翔平に関わる記事を読んでいたら興味深いコメントを発見しました。

「来期は打者に専念してもらいたい(今シーズン肘の悪化でシーズン途中離脱)。大谷の活躍を見るのが生きる糧となっている。大谷翔平のいない毎日は考えられない。」

事実だけを抽出すると、コメント者は大谷翔平に期待している。

この行為自体には善も悪もない、という前提で話を進めていきます。

 

さて、ここまでの文章を読んでみてあなたはどう感じたでしょうか?

「本当にそうだよなあ」、「いやいや!ピッチャーの大谷も見たい!」、「へえー大谷ってこんな熱烈なファンがいるんだ」、反応はそれぞれだと思います。

#常識から外れているみなさん

#これが世間の感覚です覚えとけ!

 

ここで指摘したい事実が1つ。

それはなにか?

その期待は「一方通行のもの」であるということ。

 

大谷翔平の立場になってみるとわかると思います。

日々トレーニングを続け、チームの勝利や自分が目指す目標に向かって頑張り続ける毎日。

「素の大谷翔平」と「私たち一般人が触れている大谷翔平」の差異は確実にあって、後者の方はあくまでメディアによって作られたイメージでしかありません。

他人のために頑張るというのは噓ではないでしょうけど、基本的に人間は自分のために動く生き物。

だれかのために、は自分の欲望を満たした後についてくるもの。

メディアの前では「日本で応援してくれるみなさんのため」と言いますが、バッターボックスで誰かのためが軸になっていることはあり得ません。

一方通行の期待というのは、あなた自身(コメント者)が勝手に発した期待であるということを知る必要があります。

大谷翔平がそれに応える義理なんて1つもありません。

 

何を当たり前のこと言ってるんだ西澤と思う人がいるかもしれません。

でもですね、よくよく考えてみてください。

あなた自分自身にも当てはまることが多いはず。

例えば「なんでいつになっても給料が上がらないんだ」、「(仕事をしていて)教えてくれなきゃわからないよ」と感じること。

これらすべて同じことです。

いやいや、西澤。会社は自ら労働を提供してるんだからその対価をもらうのは当たり前だろ!

そう感じる人がいるかもしれません。たしかに大谷翔平の件とはレベル感が違うのですが、最終的には勝手な期待であるというのが自分の結論です。

なぜならその決断を下している会社を選んでいるのも “ あなた自身 ”だから。

会社とかわしているのはあくまで契約で、それを放棄する権利はあなた自身にある。

「あなたが見合っていない!と思っている労働対価」と「会社が思っているあなたの労働対価」がイコールだと認識していること自体がおかしいんです。

#今日の西澤はめちゃくちゃ厳しい!

#でも筋トレと同じように痛みの先に成長があるから我慢して!

 

TOKIOの宙船ではないですが、自分の人生を決めるオールを他人(社会や親や会社)に託しているのは自分

な訳で、そこは逃げずに認識した方がいい。

社会や他人に託すのは良いですけど自分自身が勝手に頼っているんだ、という認識は持った方がいい。

大谷翔平に期待するのは構いません、そのうち会社が給料を上げてくれると期待するのは構いません。

でも、その「託す」はあなた自身の都合でしかないことを知っておきましょう。

 

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【どんな未来が待っているか】

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で、ここからが恐ろしい話になります。

もしすべてを他人や会社、社会に委ねていたらどんな未来が待っているのか?

 

正直若いうちは問題ありません。

なぜならコントロール権がないことが往々にしてあるから。言い訳にする材料がたくさんあるから、というのが正しい表現かもしれません。

たとえば下っ端社員だったら「仕事を取ってくる」や「お客さん対応をする」といった責任あることを任されません。仕事範囲が狭いので頑張りようがないという状況が多々ある。

じゃあ下っ端社員のままだったら問題ないじゃないか?と考える人がいるかもしれません。

そこで出てくるのが同年代の存在です。

年長者になればなるほどコントロール権をもった人たちの割合が多くなるのは当然の話。

人は死ぬ生き物で、生きれば生きるほど経験を積み重ねていかざるを得ない。

自分より経験の浅い若い人たちに「わたしはやったことがないからできない!」と言って通用するのでしょうか?

経験年数があるのにずっと政府のせいだ、会社のせいだと言ってられるのでしょうか?

今現在そう言っている60代のおじさん、おばさんを見てあなたはどう思っているのでしょうか?

 

自分の運命は自分でしか手繰り寄せられません。

自分は手繰り寄せます。

がんばりましょう。

 

今日は以上です、ありがとうございました。

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