10月12日(水)

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土曜の仕事から帰ってくるたびに、義弟(帰省中のトヨタ社員)から「仕事大変そうですね感」を醸し出されるのですが、納得がいかない西澤です。

#たぶん社畜と間違われてる

 

今日は「一般ノリからの脱却」というテーマでお送りします。

最近読んだ『勉強の哲学 -来たるべきバカのために-』。

勉強とはどういうことなのか?勉強を深めると何が起こるのか?という問いに対し、わかりやすく解説してくれる良本です。

是非皆さんに読んでいただきたいので、そこまでの架け橋になれば嬉しいです。

 

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【物事を否定的に見る】

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まずはじめに、最近あった日常会話の内容を共有したいと思います。

西澤の受け応えにどのような傾向があるか?の視点を持って読んでみてください。

 

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登場人物:西澤、大工の友達

 

友達「妹の夫がトヨタ社員だと知って)トヨタの社員!?めちゃくちゃスゴイじゃん!!」

西澤「は?何がすごいの?」

友達「だって大企業じゃん!トヨタに入るなんて立派だよ!」

西澤「だから具体的になにが立派なの?

言ってみてよ・・・・ほら、ないじゃん。

 

給料が高い?

そんなの “ 最低賃金が他の企業よりも高い企業に入った ”だけであって、その人自身がスゴイとは限らないよね?

もちろん入社するのが大変っていう部分もあるかもしれない。

だけど、それはトヨタが欲しい人材、あるいは採用担当者の好みにマッチしただけであって、それがイコール会社に貢献できる人材とは限らないよね?

立派な一軒家を持ってる?

そんなのそれを買えるお金を持ってただけの話だろ?

本当にスゴイのは誰だよ!?

・・・キミ(大工)じゃん。

立派な家を建てたのはキミたち大工じゃん。

そっちの方がズゴイに決まってるだろ!!!!」

#元気が出たありがとうって言われた

#教祖にでもなろうかしら

 

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おそらくですが、

西澤=あらゆる物事を批判的に見るイヤな奴

に見えたのではないでしょうか?

あるいは、多くの人が抱いている「(トヨタ社員のような)一般像」を否定する、友達いない系人間。

 

この姿勢こそが深い勉強への入口だ、と著者は述べています。

さて、なぜでしょうか?

 

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【自分はどのコードにいるのか?】

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なぜ批判的に物事を見ることが、深い勉強への入口なのか?

これを知るのには、まず、私たちが使う「言語」について知る必要があります。

広辞苑にはこう記されています。

 

「言語=人間が音声または文字を用いて事態(思想・感情・意志など)を伝達するために用いる記号体系」

 

注目すべきは最後の“ 記号体系 ”という部分。

私たちが当たり前のように使っている「りんご」という言葉は、もともと1つの記号(字面)である、という認識を持つ必要がある。

「りんご」=赤くて、みずみずしい、丸いもの

私たちはこのように連想します。

しかし、小さい頃に「これは“ 山岸製作所 ”って言うんだよ!」と教えられたら、赤くてみずみずしい食べ物は“ 山岸製作所 ”にだってなり得てしまうんです。

#そんな世界イヤだ

 

言語というのは、環境によって縛られている面が強く、周りに合わせて使われる道具であるということ。

「~だんべぇ」は群馬という一部の環境においての共通語になっているのと同じく、「トヨタ社員」という言葉も環境(なんとなくスゴイと無意識的に思わされてる)によって縛られている。

まずはこれを認識しましょう。

 

言語についてもう少し深堀っていきます。

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(一部本から抜粋)

言葉は人間のリモコンである。

言葉によって私たちは、特定のノリに従った動きをさせられる。

しかし言葉には全く逆の機能もある。

言葉遊びの自由とは、言葉の組み合わせによって、目の前の現実とは別の、たくさんの可能性を考えられるということ。

したがって言語は、私たちに環境のノリを強いるものであると同時に、逆に、ノリに対して「距離をとる」ためのものである。

勉強とは、別のノリへの引っ越し

この勉強論で光を当てたいのはノリから新しいノリの「あいだ」の部分。

違和感を得る次元、それこそが言語の世界。

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勉強することはノリが悪くなる、ということ。

今まで無意識的に使っていた言語(一般のノリ)に対して、一度ストップをかける。

1つ1つの言葉に対して、「本当にそうだろうか?」という疑問を投げかける。

この積み重ねが、僕たちを新たな次元へと連れていく(可能性の追求)ことになります。

 

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【一般ノリからの脱却】

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一般のノリから新たなノリへの移行はツラいものです。

#勉強している人は共感してくれるんじゃないかな

人と話すたびに浮いた存在になり、会話が成立しなくなる。

自分も一時ですが、圧倒的な孤独感に襲われました。

しかし、それに耐えた先に、本当の自由が待っている。

ありのままの自分で生きられる実感を得られる。

間違って捉えられると困りますが、今は「いつ死んだって構わないかな」という感覚を持てるようになりました。

もちろんやりたいことはあるけど、とりあえず過去に対する後悔はない状態、と言った方がわかりやすいでしょうか。

 

決して大企業の人が劣っている、なんてことを伝えたい訳じゃありません。

ちゃんと事実に向き合えば、相手を格上に見る必要はないし、自分を卑下する必要なんて全くない。

そうやって幻想に惑わされて、不幸になっている人をこれまでたくさん見てきました。

表向きだけじゃなく、心の底から現状に満足している人は今のままで良いと思います。

でも、少なからず居心地の悪さを感じているのなら新しいノリへ移ってみたらどうでしょうか。

変人の世界でお待ちしております。

 

今日は以上です、ありがとうございました。

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