12月15日(水)

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こんばんは。

膨大な数の手直しを終えた直後、検査のランさんがやってきて「これ、お願いします!」と元気に笑顔で、えげつない数の手直し品を持ってきたので「さすがに鬼畜すぎるだろ」と思ってしまった西澤です。

#ランさんはわるくない

#ランさんはわるくない

 

今日は「プライドなんて捨ててしまえ」というテーマでお送りします。

 

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【真実が押しつぶされる世界】

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今からさかのぼること93年。舞台はアメリカのテネシー州。

刺激の少ない田舎町に、スコープスという高校教師がいました。

彼は「経済的な潤いのないこの町に、どうにか活況をもたらせないか?」とドラッグストアの店主と一緒に、話し込んでいました。

そして、とあることを画策します。

それはなにかというと、「学校でダーウィンの進化論を教える」です。

 

別に普通のことですよね。

ただ、当時にそれを実行することはイコール“逮捕”を意味していました。

テネシー州ではダーウィンの進化論を教えることを法律で禁じていたんです。

理由は「聖書の教えに反するから」。

聖書では「神が天と地を創り出した」を前提に教えが説かれています。なので、もし進化論(人間はサルの進化系)が真実であるならば、聖書を信じていた人は

「あれ、聖書に書いてあることと違うじゃん。もしかして聖書ってウソついているの?」

神に対する信頼が落ちてしまう可能性を含んでいたんですね。

それによって都合が悪くなる人たちがたくさんいて、進化論を学校で教えることを禁ずるようになった経緯があります。

 

「科学」の発展により、“これまでなんとなく人々が信じていた”が覆されることが多かった時代。スコープスはそこに目を付けました。

ただ、町が盛り上がるためだけに逮捕されるのはどうにも取り分が少なすぎる。そう考えたスコープスは既得権益に対して反感を持つアメリカ自由人権協会のとタッグを組むことになります。

スコープスの目論見通り、「みんなの心の拠り所であった聖書が科学によって否定されるかもしれない」という世間の関心が小さな田舎町に注がれ、後の裁判中継の先駆けになるような大事件へと発展していきます。

 

真実を教えることの何が悪いんだ?と考える、当時、有能弁護士として名を馳せていたダロウがスコープスの弁護人として名乗り出ます。

裁判において、ダロウは論理的に検察を問い詰めていきます。

「聖書にある“ノアの方舟”はどうやって証明できるんだ?」

「聖書が地球よりも前に存在していた理由をどうやって説明するんだ?」

 

対する検察側は、聖書をちゃんと読め!の一点張り。

終いには「彼らの目的はただ一つ、聖書を信じる者への嘲笑だ。私は必ずや、彼らが、クリスチャンを嘲笑する以上の目的がないことを世界に知らしめてやる!」と言い放つ始末。

#論理のカケラもない

結果は、スコープスの有罪(スコープスの無罪or有罪を問う裁判だったので)でしたが、実質的にはダロウの勝利でした。

 

しかし、既得権益を守ろうとする人たちの力は凄まじく、「ダーウィンの進化論を教えてはならない」という法律が廃止されたのはスコープス裁判から40年経ってからのことでした。

 

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【成長するためにはプライドを捨てたほうがイイ】

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さて、このスコープス裁判からなにを学べるでしょうか?

 

西澤は日頃から“人が成長するために必要なこと”を明らかにすることが好きです。

なので、その目線からスコープス裁判を見ると

「継続的に自身が成長することにおいて、プライドは邪魔ものでしかない」

事実にきちんと向き合わないことは、何も生まない

ということを学びました。

 

検察側は聴衆の前で論破され続け、醜態を晒してもなお「聖書は正しい」と言い続けました。

それはなぜでしょうか?

彼ら(検察側や既得権益層)に、守るものがあったからです。

家族を養っていくには今の仕事で成果を出し続けなければならない、あるいはこれまでの自分自身の人生において築いてきた誇りを汚されたくない、という思いがあった。

実際に自分が当事者になってみれば、そう思うに違いありません。

しかし、歴史を辿った時に「プライドを守ることが目的になっている、あるいは真実から目を背けた事例」というのは、あとでしっぺ返しをくらうことが多くあります。

 

自身の成長という観点においては、なおさらです。

私たちも経験上ありませんか?

自分は正しいんだ!と思い込んだり、本当はわかってはいるんだけど・・・(別のことをやってしまう)、といったこと。

自分のやり方が正しいのであれば、とっくに結果は出ているはずです。なのに結果が出ないのは“自身の考え方”自体に問題がある。

西澤の経験上、これに当てはまるケースでは確実に後で痛い目を見ています。そして、なによりも痛いのは成長のスピードが遅くなること。

自身の中で「後悔する」という選択肢は1年前に捨てましたが、強いて言えばもっと早いうちからプライドを捨てて、素直に学んでおけばよかったなあと思います。

今はちょっとでも知らないことがあれば、年下であろうが

「〇〇さん、完全に僕の負けです。参りました!ぜひ学ばせてください!」というスタンスで日々過ごすようにしています。

そんな降参の毎日を送っていると、周囲が学べることだらけになって面白くなりました。

目的を達成するためには、自己肯定は不可欠な要素になるのに加えて、事実と向き合うことも同時に必要となります。

今日は以上になります。ありがとうございました。

 

これは余談ですが、進化論を信じないアメリカ人の割合はいまだに多く、学術雑誌「パブリック・アンダスタンディング・オブ・サイエンス」によると、2019年時点で進化論を支持する人は“54%”に留まっています。

進化論が絶対だ!って言える知識なんて全く持ち合わせていないんですが、討論が盛んなアメリカにおいて、この事実はかなり意外ですよね。

スコープス裁判については、いろんな見解があるので興味ある人は調べてみると面白いと思います。

 

 

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